(5)Attack of the Mad Axemanまでは事態はそんなに悪くなることはなかった。Attack of the Mad Axemanが始まったとき技術的な問題が悪化し、何とかイントロを弾こうとしたマイケルの試みはまったく上手くいかなかった。私が思うに、マイケルはこのことを恥ずべきことと感じたのではないだろうか。しかし、マイケルは再び演奏を始め、果敢にも最初のソロを弾き遂げた。しかし、再び問題が発生し、この時点で曲を立て直すのは不可能なように思えた。この時、マイケルはギターを肩から外し、激しいフラストレーションでそれを投げ捨てた。しかし、マイケルはこのときステージ脇にいて柱の影になる状態だったため、この様子はほとんどの人からは見えなかった。マイケルは、ローディの首でも絞めんばかりの感じだった。ローディは明らかに開演前にこの問題についてマイケルに警告することはしていなかった。先に述べたとおり、我々の目には、ローディは自分のやるべき仕事を完璧にこなしていないように映った。もちろん私は間違っているかもしれないが。マイケルには2004年のツアーで使っていたようなギターテクが必要なのではないだろうか?
(6)次に起こった出来事に私は驚いた。マイケルは再び戻ってきて、Attack of the Mad Axemanのアウトロをいつもより長めに弾いたのであった。彼の顔は紅潮し、とても憤慨していたものの、自分の怒りをすべてそこに注ぎ込むような強烈なソロを弾いた。その結果、マイケルが「絶好調をさらに超えた」インスピレーション溢れる瞬間の一つが訪れた。私が思うに、マイケルは何とかメインのセットをやり遂げて、その場を去りたかったのではないか。マイケル自身、その最後の数分間の演奏がいかに信じられない程素晴らしかったか気づいていないと思う。マイケルはメガネを置いてきたため、80年代初期のツアーを彷彿とさせる感じで、顔をゆがめながらソロを弾いていた。そして、マイケルは軽く会釈をして、恐らくその後間もなく会場を後にした。変な話だが、マイケルは機材の問題が原因で「悪い」演奏をせざるをえなかったと恥じていると私は思うが、観客がしばらくの間口がきけなくなる程良い演奏をし、その後大声援が沸き起こったことを認識できていないようだった。
(7)このように不機嫌なように見える状態があったし、マイケルがアンコールのために戻ってくることもなかったのは事実である。しかし、明らかにマイケルに非はなく、実際「素晴らしい」以上の演奏をした。正直なところ、マイケルはこの問題を一笑に付し、ギターをテープか何かで修復し、Attack of the Mad Axemanからやり直してセットをやり遂げることも出来たと思う。そうすれば観客も喜んだことだろう。しかし、みなマイケルはそんな人間ではないと分かっている。すべてに満足できないと、何とか問題を解決しようと苦心する。それがマイケルである。だからこそ今でも忠実なファンが離れずに付いてきているのだと思う。つまるところ彼は、我々と同じように完全無欠の人間ではない。今回の一件は、つまらないことでの空騒ぎであり、特にその辺にギターショップがあれば回避できたことである。ギターテク/ローディがバンドに対して公演前に問題を警告することが出来たはずであり、必要であれば新しいギターを調達することもできたかもしれない。観客の中にはDeanのシェンカーモデルを持ってきている人物もいたから、それを使う選択肢もあったかもしれない。